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多くほとんどの人達が計画している人生は老けていくし死んでいっている…無我夢中に生きて後は全て神様に委ね感謝していれば生きても死んでも気持ち良く幸せになれると思う。神様に頼っていれば死を恐れる事はないし勇敢に生きていける!ハレルヤ🙏
ヨハネによる福音書 14:6: イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」
アーメン
Power trust sword through hart ferts in Jesus name.
Amen!
感謝します🤗🤗🤗🤗
肉体は死んでも魂は永遠に生きている話とは別の切り口ですね。
よのなか平安になってほしいてわす?
絵がかわいいw
僕は無宗教ですが、とても参考になりました。一定期間を乗り越える…という解釈で、もの凄く納得できました。霊界では、その一定期間を2000年と定めているようです。これは最近、霊界から仕入れた情報なんですが、その情報とピッタリとリンクしたんです。「終わりの日」が2020年5月にあったようなんですが、なんとか乗り越えたようです。
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こんにちは。アニメーションのソフトの名前教えてくれませんか?
よのなかは。人がちょっと変われば変えられるとおもいます。
よのなかにシャロン
😅それならなぜ地球はありますか?永遠の命この地球で得られるものではないですか?単純に
イエスは永遠の命の道の向かい方であり、永遠の命の世界の作り方を伝えていない。つまり、イエスはあくまでも預言者のひとりにすぎず、残念ながら失敗している。なぜならば、永遠の命の世界が実現していないという、現在の世界の姿が紛れもない事実。永遠の命の道の向かい方であり、永遠の命の世界の作り方を伝える者はこれから登場する。そしてそれはイエスではない。
旧約聖書のイザヤ書53:4〜53:7のメシア(キリスト)に関する預言の「彼」がイエスではなかったと考える理由はなんですか?イエスそのものに思えるのですが。イザヤ書53章(旧約聖書)4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。ローマ人への手紙(新約聖書)3:25神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、3:26それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。マルコによる福音書15:34(新約聖書)詩篇22:1(旧約聖書)イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)と叫ばれた。(主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた から「イザヤ書53:6」)ヨハネによる福音書(新約聖書)3:16神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
@@なおざりおざなり 申し訳ありませんが、私はキリスト教の信者でも、ユダヤ教の信者でもありません。この点をご理解ください。ただし、キリスト教は学べることがとても多いので、参考にはさせていただいています。ご質問の聖書に書かれているとのことですが、聖書を信仰しているユダヤ教ではイエスの存在を全く認めていないと思います。これがひとつの答えだと思います。そしてユダヤ教の信者にイエスのことを尋ねても、「キリスト教の開祖」や、「善人」、もしくは「預言者」という返答がある程度で、「メシア」とは思っていないはずです。また、ユダヤ教の信者に「なぜ?」と質問しても、「違うので違う」としか答えようがないと思います。何よりも、イエスが活動していた時に永遠の命の世界は実現していません。聖書に書かれている人物であれば、実現させていたはずです。そもそも待ち望まれているメシアは特定の人間のことではありません。キリスト教では「イエス」と教えていると思いますので、信仰者は認めたくないと思いますし、信仰は自由ですから認めなくてもよいのですが、「いつか意味がわかります」としかお伝えできません。ちなみに最初に「キリスト教は学べることがとても多いので、参考にはさせていただいています」と伝えているように、私はキリスト教を完全に否定しているわけでは全くないのですが、「イエスは歴代の預言者のひとり」という認識です。ちなみにメシアは世の始まりから終わりまで、常にいます。だからこそアルファでありオメガであり、「全て」です。ノア、アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマドなど様々な預言者が登場していますが、メシアは世の始まりからすでにいますので、ノアが登場する前からです。ですからイエスが登場するかなり前からいるわけですが、イエスは「その存在」に気づいたので、大衆にそのことを伝えようとしていたのがイエスの活動であり、預言者の活動です。また、聖書は「その存在」のことを伝えているわけですが、なぜか「主役がイエス」という状態に改変されてしまっているといえるでしょう。
@@日本で活動する思想家 すこしユダヤ人と、ユダヤ教の口伝律法についてお話ししてもよいでしょうか?わたしは子供の頃からユダヤ人が迫害される理由がずっと分からなかったのですが、聖書を学びある一つの可能性に気づきました。ホロコーストや、社会不安が高まる度に起こるユダヤ民族に対する迫害は、サタン(悪霊)の働きだと思います。第二次大戦中にドイツ軍人がユダヤ人を死ぬまでぶん殴ったりしている様子を見ると、悪霊にでも取り憑かれているように思えます。マタイによる福音書で、イエスはユダヤ民族がイエスの再臨を望まない限り再び来ることはないと言っている。つまり、ユダヤ民族がイエス・キリストを信じるようになるとキリストは再臨する。それをやめさせたいサタン(悪霊)はユダヤ民族を根絶やしにして殺そうとしているのでは?という考えです。調べますと、これは神学的によく言われていることのようです。マタイによる福音書23章37節〜(新約聖書)23:37 ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。23:38 見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。23:39 わたしは言っておく、『主の御名によってきたる者に、祝福あれ』とおまえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないであろう」。良かったら、このドキュメンタリーを見てから続きをお読み下さい。ruclips.net/video/myUu0srbQ3k/видео.htmlこのドキュメンタリーでは、正統派のユダヤ人達は安息日に物を持って歩かないと言ってますね。これについて興味深い話がヨハネによる福音書5章(新約聖書)にあります。ベドサタの池でイエスが安息日に病人をいやす話です。ベドサタの池の前に38年間病気で座り込んでいるしかない男がいました。イエスはその男の病を治しました。そして「立って床を持って歩きなさい」とおっしゃりました。38年ぶりに歩けるようになった男は喜びの中にいました。そこへユダヤ人が来て、「今日は安息日だから床を持って歩くな」と言いました。38年間病気で池の前に座り込んでいた男は有名人だったと思います。普通、愛があれば、38年間も病気で座り込んでいた男が歩いていたら、「あら〜!あなた病気が治ったの⁈ 良かったわね〜!!」というと思います。しかし愛よりもユダヤ教の律法を大事にするユダヤ人は、病が治った男性を咎めます。そして安息日に病人を治す仕事をしたイエスの事も悪く言いだします。イエスはこう言います。マタイによる福音書2:27「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。」マタイ7:21わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。神の御旨とは、愛を優先させる事です。ユダヤ教は「十戒の安息日」を守ろう守ろうとするあまりに、「安息日には物を持って歩いてはならない」という主の御心に適っていない口伝律法を作ってしまいました。しかし神さまの本当の御心は、愛を優先する事です。イエス様は十戒を本当の意味で実行しました。しかし、律法を守らないイエスをユダヤ民族はメシア(救世主/キリスト)として受け入れませんでした。わたしはイエス様により旧約聖書のメシア預言は既に成就したと考えます。わたし自身はキリストを自分の罪からの救い主とし永遠の命を得ている実感があるのですが、あなたの言うように、信仰は説得できる類いのものではありませんし、わたしがそう信じる自由もあり、また、あなたはあなたの解釈を信じる自由があると思います。
イエス様は人になった神だと信じてます。この方が唯一の救い主です。彼は今も生きている。世界を良くする力は神の主権以外にないですし、イエス様以外に救い主がいるなら、それって具体的に誰であって、どういう根拠でそうなるのでしょうか? 聖書に宿っている霊感を個人的な信条で軽視しない方が良いと思う。
@@日本で活動する思想家 ユダヤ民族は紀元70年のローマ軍によるエルサレム攻囲戦で世界各地へと離散しました。(この事は新約聖書でイエス様により預言されていました。)国を持たない民族が民族性を保持し続ける事は奇跡に近いと民族学者はいいます。日本人でたとえますが、アメリカに渡って日系アメリカ人になった日本人は、日本の文化や民族性を懐かしみ、見た目も中身も日本人なままの日系アメリカ人だそうです。しかし日系二世になると心は日本人だが、見た目はすっかりアメリカ人に寄せてアメリカナイズになるそうです。(外身が白人に合わせていて、中身が黄色人種の日本人のままということで「ゆで卵」と表現されることがあるそうです。)日系三世になると外身が黄色で中身が白い「バナナ」と表現されるそうです。いくらアメリカナイズされても肌の色は黄色人種であり、しかしもう中身は日本人ではなくアメリカ人そのもの、という意味らしいです。日本人が自分の国を失って世界中に離散した場合、おそらく200年か、300年もすれば、その民族性はなくなると予想されるそうです。実際、ユダヤ民族以外の国をなくした民族が、民族としての特徴を保持したという期間は200年〜300年が限度だったそうです。ユダヤ民族が1900年以上も民族性を保持したまま今も生き延びている事は本当に奇跡的な事なのです。つまりいくら悪霊の攻撃を受けても、ユダヤ人が根絶やしにされる事は聖書の預言が必ず成就すると前提しますと、あり得ないのです。新約聖書的にはユダヤ民族(ユダヤ教の信徒)がキリストの再臨を求めるようになる日は必ず来るのです。ユダヤ民族はもっとも知的な民族集団のひとつと考えられています。民族別知能指数では世界でもっとも高く、一例としてノーベル賞の22%、フィールズ賞の30%、チェスの世界チャンピオンの54%がユダヤ人であるとも言われています。彼らがメシアニック・ジュー(イエス・キリストを信じるユダヤ人)になるとすれば民族的に救われる時は一瞬です。その時がキリストの空中再臨(携挙)であり、キリストにあった者が死から復活し天にあげられ、その次にその時地上にいるキリストにある者が天にあげられ、大患難時代(7年)が来て、その後キリストが地上再臨し、主、イエス・キリストによる千年王国があります。そしてその後に不信者の復活(キリストを拒否した者の死からの復活があり、白い御座の裁き(最後の審判)により永遠の火の池に投げ込まれます。そしてその後に、新天新地。一切の苦しみが過ぎ去った世界で、主イエス・キリストに喜んで従う者だけが暮らす永遠の世界があるのです。イエス・キリストは「汝の敵を愛せよ」とおっしゃいました。それは愛する事は好む事よりも偉大だからです。「自分を愛するように隣人を愛せよ」ともおっしゃいました。それはそれが人間にできる限界だからです。そして第一の戒めは主を愛する事です。主の戒めは基本的に人間を幸せにしようとしています。たとえば、「姦淫してはならない」ですが、性が乱れると人工妊娠中絶などが増えます。浮気をしたら、愛する妻や子供を失う人も居るでしょう。神の戒めを守って生きた方が人間は幸せなんです。神に従う者が居る国が天国。(新天新地)なにがなんでもマイ ルールで生きたい人、神に従いたくない人間が行く場所が神が居ない地獄。(永遠の火の池)不信者は、自らの意思で地獄にいくのです。それが聖書的解釈です。
多くほとんどの人達が計画している人生は老けていくし死んでいっている…無我夢中に生きて後は全て神様に委ね感謝していれば生きても死んでも気持ち良く幸せになれると思う。
神様に頼っていれば死を恐れる事はないし勇敢に生きていける!ハレルヤ🙏
ヨハネによる福音書 14:6: イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」
アーメン
Power trust sword through hart ferts in Jesus name.
Amen!
アーメン
感謝します🤗🤗🤗🤗
肉体は死んでも魂は永遠に生きている話とは別の切り口ですね。
よのなか平安になってほしいてわす?
絵がかわいいw
僕は無宗教ですが、とても参考になりました。
一定期間を乗り越える…という解釈で、もの凄く納得できました。
霊界では、その一定期間を2000年と定めているようです。
これは最近、霊界から仕入れた情報なんですが、その情報とピッタリとリンクしたんです。
「終わりの日」が2020年5月にあったようなんですが、なんとか乗り越えたようです。
Estamos bibos pra ganhar alama a deus
こんにちは。アニメーションのソフトの名前教えてくれませんか?
よのなかは。人がちょっと変われば変えられるとおもいます。
よのなかにシャロン
😅それならなぜ地球はありますか?
永遠の命
この地球で得られるものではないですか?
単純に
イエスは永遠の命の道の向かい方であり、永遠の命の世界の作り方を伝えていない。
つまり、イエスはあくまでも預言者のひとりにすぎず、残念ながら失敗している。
なぜならば、永遠の命の世界が実現していないという、現在の世界の姿が紛れもない事実。
永遠の命の道の向かい方であり、永遠の命の世界の作り方を伝える者はこれから登場する。
そしてそれはイエスではない。
旧約聖書のイザヤ書53:4〜53:7のメシア(キリスト)に関する預言の「彼」がイエスではなかったと考える理由はなんですか?イエスそのものに思えるのですが。
イザヤ書53章(旧約聖書)
4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
ローマ人への手紙(新約聖書)
3:25
神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、
3:26
それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。
マルコによる福音書15:34(新約聖書)
詩篇22:1(旧約聖書)
イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)と叫ばれた。
(主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた から「イザヤ書53:6」)
ヨハネによる福音書(新約聖書)
3:16
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
@@なおざりおざなり 申し訳ありませんが、私はキリスト教の信者でも、ユダヤ教の信者でもありません。
この点をご理解ください。
ただし、キリスト教は学べることがとても多いので、参考にはさせていただいています。
ご質問の聖書に書かれているとのことですが、聖書を信仰しているユダヤ教ではイエスの存在を全く認めていないと思います。
これがひとつの答えだと思います。
そしてユダヤ教の信者にイエスのことを尋ねても、「キリスト教の開祖」や、「善人」、もしくは「預言者」という返答がある程度で、「メシア」とは思っていないはずです。
また、ユダヤ教の信者に「なぜ?」と質問しても、「違うので違う」としか答えようがないと思います。
何よりも、イエスが活動していた時に永遠の命の世界は実現していません。
聖書に書かれている人物であれば、実現させていたはずです。
そもそも待ち望まれているメシアは特定の人間のことではありません。
キリスト教では「イエス」と教えていると思いますので、信仰者は認めたくないと思いますし、信仰は自由ですから認めなくてもよいのですが、「いつか意味がわかります」としかお伝えできません。
ちなみに最初に「キリスト教は学べることがとても多いので、参考にはさせていただいています」と伝えているように、私はキリスト教を完全に否定しているわけでは全くないのですが、「イエスは歴代の預言者のひとり」という認識です。
ちなみにメシアは世の始まりから終わりまで、常にいます。
だからこそアルファでありオメガであり、「全て」です。
ノア、アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマドなど様々な預言者が登場していますが、メシアは世の始まりからすでにいますので、ノアが登場する前からです。
ですからイエスが登場するかなり前からいるわけですが、イエスは「その存在」に気づいたので、大衆にそのことを伝えようとしていたのがイエスの活動であり、預言者の活動です。
また、聖書は「その存在」のことを伝えているわけですが、なぜか「主役がイエス」という状態に改変されてしまっているといえるでしょう。
@@日本で活動する思想家
すこしユダヤ人と、ユダヤ教の口伝律法についてお話ししてもよいでしょうか?
わたしは子供の頃からユダヤ人が迫害される理由がずっと分からなかったのですが、聖書を学びある一つの可能性に気づきました。
ホロコーストや、社会不安が高まる度に起こるユダヤ民族に対する迫害は、サタン(悪霊)の働きだと思います。
第二次大戦中にドイツ軍人がユダヤ人を死ぬまでぶん殴ったりしている様子を見ると、悪霊にでも取り憑かれているように思えます。
マタイによる福音書で、イエスはユダヤ民族がイエスの再臨を望まない限り再び来ることはないと言っている。
つまり、ユダヤ民族がイエス・キリストを信じるようになるとキリストは再臨する。それをやめさせたいサタン(悪霊)はユダヤ民族を根絶やしにして殺そうとしているのでは?という考えです。
調べますと、これは神学的によく言われていることのようです。
マタイによる福音書23章37節〜(新約聖書)
23:37
ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。
23:38
見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。
23:39
わたしは言っておく、
『主の御名によってきたる者に、祝福あれ』
とおまえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないであろう」。
良かったら、このドキュメンタリーを見てから続きをお読み下さい。
ruclips.net/video/myUu0srbQ3k/видео.html
このドキュメンタリーでは、正統派のユダヤ人達は安息日に物を持って歩かないと言ってますね。
これについて興味深い話がヨハネによる福音書5章(新約聖書)にあります。
ベドサタの池でイエスが安息日に病人をいやす話です。
ベドサタの池の前に38年間病気で座り込んでいるしかない男がいました。
イエスはその男の病を治しました。
そして「立って床を持って歩きなさい」とおっしゃりました。
38年ぶりに歩けるようになった男は喜びの中にいました。
そこへユダヤ人が来て、「今日は安息日だから床を持って歩くな」と言いました。
38年間病気で池の前に座り込んでいた男は有名人だったと思います。
普通、愛があれば、38年間も病気で座り込んでいた男が歩いていたら、
「あら〜!あなた病気が治ったの⁈ 良かったわね〜!!」
というと思います。
しかし愛よりもユダヤ教の律法を大事にするユダヤ人は、病が治った男性を咎めます。
そして安息日に病人を治す仕事をしたイエスの事も悪く言いだします。
イエスはこう言います。
マタイによる福音書2:27
「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。」
マタイ7:21
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
神の御旨とは、愛を優先させる事です。
ユダヤ教は「十戒の安息日」を守ろう守ろうとするあまりに、
「安息日には物を持って歩いてはならない」という主の御心に適っていない口伝律法を作ってしまいました。
しかし神さまの本当の御心は、愛を優先する事です。
イエス様は十戒を本当の意味で実行しました。
しかし、律法を守らないイエスをユダヤ民族はメシア(救世主/キリスト)として受け入れませんでした。
わたしはイエス様により旧約聖書のメシア預言は既に成就したと考えます。わたし自身はキリストを自分の罪からの救い主とし永遠の命を得ている実感があるのですが、
あなたの言うように、信仰は説得できる類いのものではありませんし、わたしがそう信じる自由もあり、また、あなたはあなたの解釈を信じる自由があると思います。
イエス様は人になった神だと信じてます。この方が唯一の救い主です。彼は今も生きている。
世界を良くする力は神の主権以外にないですし、イエス様以外に救い主がいるなら、それって具体的に誰であって、どういう根拠でそうなるのでしょうか?
聖書に宿っている霊感を個人的な信条で軽視しない方が良いと思う。
@@日本で活動する思想家
ユダヤ民族は紀元70年のローマ軍によるエルサレム攻囲戦で世界各地へと離散しました。(この事は新約聖書でイエス様により預言されていました。)
国を持たない民族が民族性を保持し続ける事は奇跡に近いと民族学者はいいます。
日本人でたとえますが、
アメリカに渡って日系アメリカ人になった日本人は、日本の文化や民族性を懐かしみ、見た目も中身も日本人なままの日系アメリカ人だそうです。
しかし日系二世になると心は日本人だが、見た目はすっかりアメリカ人に寄せてアメリカナイズになるそうです。(外身が白人に合わせていて、中身が黄色人種の日本人のままということで「ゆで卵」と表現されることがあるそうです。)
日系三世になると外身が黄色で中身が白い「バナナ」と表現されるそうです。いくらアメリカナイズされても肌の色は黄色人種であり、しかしもう中身は日本人ではなくアメリカ人そのもの、という意味らしいです。
日本人が自分の国を失って世界中に離散した場合、おそらく200年か、300年もすれば、その民族性はなくなると予想されるそうです。
実際、ユダヤ民族以外の国をなくした民族が、民族としての特徴を保持したという期間は200年〜300年が限度だったそうです。
ユダヤ民族が1900年以上も民族性を保持したまま今も生き延びている事は本当に奇跡的な事なのです。
つまりいくら悪霊の攻撃を受けても、ユダヤ人が根絶やしにされる事は聖書の預言が必ず成就すると前提しますと、あり得ないのです。新約聖書的にはユダヤ民族(ユダヤ教の信徒)がキリストの再臨を求めるようになる日は必ず来るのです。
ユダヤ民族はもっとも知的な民族集団のひとつと考えられています。
民族別知能指数では世界でもっとも高く、
一例としてノーベル賞の22%、
フィールズ賞の30%、
チェスの世界チャンピオンの54%がユダヤ人であるとも言われています。
彼らがメシアニック・ジュー(イエス・キリストを信じるユダヤ人)になるとすれば民族的に救われる時は一瞬です。
その時がキリストの空中再臨(携挙)であり、キリストにあった者が死から復活し天にあげられ、その次にその時地上にいるキリストにある者が天にあげられ、大患難時代(7年)が来て、その後キリストが地上再臨し、主、イエス・キリストによる千年王国があります。そしてその後に不信者の復活(キリストを拒否した者の死からの復活があり、白い御座の裁き(最後の審判)により永遠の火の池に投げ込まれます。
そしてその後に、新天新地。
一切の苦しみが過ぎ去った世界で、主イエス・キリストに喜んで従う者だけが暮らす永遠の世界があるのです。
イエス・キリストは
「汝の敵を愛せよ」とおっしゃいました。それは愛する事は好む事よりも偉大だからです。
「自分を愛するように隣人を愛せよ」ともおっしゃいました。それはそれが人間にできる限界だからです。
そして第一の戒めは主を愛する事です。
主の戒めは基本的に人間を幸せにしようとしています。
たとえば、「姦淫してはならない」ですが、性が乱れると人工妊娠中絶などが増えます。浮気をしたら、愛する妻や子供を失う人も居るでしょう。
神の戒めを守って生きた方が人間は幸せなんです。
神に従う者が居る国が天国。(新天新地)
なにがなんでもマイ ルールで生きたい人、神に従いたくない人間が行く場所が神が居ない地獄。(永遠の火の池)
不信者は、自らの意思で地獄にいくのです。
それが聖書的解釈です。